つがる市の位置・地勢・沿革

更新日:2022年04月01日

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位置・地勢

本市は、青森県の西部、津軽平野の北部中央から西に位置しています。

東は岩木川、西は日本海に面し、海岸は「七里長浜」と呼ばれる28キロメートルの砂浜で、それに並走するように「屏風山」と呼ばれる丘陵地帯が続いています。

南方には津軽の秀峰「岩木山」と世界自然遺産「白神山地」を望み、岩木川の自然堤防帯に育まれた広大な津軽平野には、弘前藩の新田開拓以来の一大穀倉地帯が形成されています。

面積は253.55平方キロメートルで、県の約2.6%を占めています。

気候は、典型的な日本海側気候です。

夏季は昼夜の寒暖差が大きいため、米や野菜の作付けに適している地域とされています。

冬季は降雪量が多く、日本海沿岸特有の強い西風の影響により地吹雪が発生するなど、住民生活に影響を及ぼしています。

沿革

縄文文化

本市は、縄文遺跡が豊富なところで、現在確認されている113ヵ所の遺跡のうち、83ヵ所が縄文遺跡です。

田小屋野貝塚は日本海側に数少ない貝塚を有する貴重な集落遺跡で、縄文時代前期中頃~中期末期の環境への適応や生業、交易のあり方がわかる遺跡です。

亀ヶ岡石器時代遺跡は、国内外で有名な「遮光器土偶」をはじめとする優れた土器・土偶が出土し、縄文時代晩期の北日本を中心とする「亀ヶ岡文化」の名称の由来となった遺跡です。

これらは、世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17の構成資産の一つとなっています。

新田開発

本市の特性である岩木山を背景とした美しい田園風景は、今からおよそ400年前の江戸時代初頭の弘前藩津軽家による新田開発から始まっています。

かつて一面不毛の湿地帯であった土地は、先人たちの開拓の歴史によって、現在の豊かな水田地帯が築かれています。

新田開発には、人々の手となり足となる農耕馬の存在が欠かせませんでした。

明治後期には、馬の競り市が始まり、のちに東北三大馬市に数えられるほどの賑わいをみせました。

その後、農業の機械化に伴い農耕馬が減少し、馬市が衰退していくと、新田開発に尽くし亡くなった馬の霊を慰めるため、昭和50年から「馬市まつり」が行われるようになり、今に受け継がれています。

市町村合併

明治22年の市町村制施行直前は、西津軽郡には11町108村が設置されていましたが、同制度施行後、鰺ヶ沢町、舞戸村、中村、赤石村、鳴沢村、木造村、館岡村、出精村、越水村、柴田村、川除村、深浦村、大戸瀬村、岩崎村、森田村、柏村、稲垣村、車力村、水元村、十三村が成立しました。

その後、明治34年に木造村が町制を施行して木造町となり、昭和30年には木造町、館岡村、出精村、越水村、柴田村、川除村、鳴沢村の一部(出来島)が合併し、木造町となりました。

平成17年2月に木造町、森田村、柏村、稲垣村、車力村の1町4村が新設合併し、県内では9番目の市としてつがる市が設置され、現在に至っています。

明治22年市町村制施行時

  • 木造村
  • 館岡村
  • 出精村
  • 越水村
  • 柴田村
  • 川除村
  • 森田村
  • 柏村
  • 稲垣村
  • 車力村

明治34年

  • 木造町
  • 館岡村
  • 出精村
  • 越水村
  • 柴田村
  • 川除村
  • 森田村
  • 柏村
  • 稲垣村
  • 車力村

昭和30年昭和の大合併

  • 木造町
    (鳴沢村大字出来島含む)
  • 森田村
  • 柏村
  • 稲垣村
  • 車力村

平成17年平成の大合併

つがる市

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